霊的・心的問題の自己解決の為に

セルフリーディング、霊的・心的問題の自己解決の為の誘導を行います。

自分一人で物事を考える

(※セッションを申し込む方の為限定で記録しています。犯罪行為、いじめ、嫌がらせ、国際法違反の犯罪に関与する未熟者、悪魔主義者、修行者、スピリチュアリスト、偶像崇拝者、何らかの宗教の狂信者、は閲覧を固くお断りします。私は頭の混乱した倒錯者ではない。私のセッションを申し込む人を苦しめている原因はまさに彼らに存するからである。盗聴したり遠隔透視する輩にはその分の取り返しのつかない「カルマ」が発生するが覚悟せよ。冒涜者と不信仰者ばかりの世の中である。不届き者はこの先読むな、去れ。私にまつわる問題は国家レベルで起きるようになっている。嘘だと思うなら命をかけて犯罪行為を続ければよい。次の代償は「人命」である。)

 

 

 

「たった一人で物事を考える」

 

私は20代の頃にスピリチュアル系の世界を覗きましたが、自分で物事を考える、という自己信頼の姿勢が身についたという点で、大変よかったと思います。

自分の知らない世界で、新しい物事の見方を学ぼうとする姿勢は現在も変わっていません。

ここを訪れる人に気が付いて頂きたいことは、世の中には色々な思想信仰の人が居り、世の中のほとんどが面の皮の厚い彼らの「嘘」でできているということです。

彼ら花畑在住種は、この世を「夢」と捉えており、彼ら大乗仏教者の「救世」とは殺人のことである。

 もし人が苦しみのどん底にある場合、人は自分で自分を救うことはできませんから、世界中には助け手が存在しているが、しかし彼らに頼ることを私は決して勧めない。

とことん目覚めなければ人も自分も救うことはできません。(この言葉を意味を理解できる大人はあなたの周りにいないと理解しましょう。自分が賢明になるしかないのです。)

私は誰も「救い」ません。(仏陀は自分の幸せを捨てて人類を救世したいと発願した聖者です。)

誰も誰かの救いに与ることも関わることも出来ないが、嘘つきは「できる」と言って聖者の命を狙ってきた歴史が人類の所業です。

仏陀を「嘘」をつかず「自分でおやんなさい」と言っていますね。彼は徹底的にあるがままを観察することを教えたのであり、自分の観察したいように観察しろなんて言っていませんが、大乗カルトはそれをやっているのが実態です。だからカルトなのです。

カルトとは本家本元の周辺で「ぱくり」行為をやる集団のことです。

 

私は過去にカウンセリングを少しだけ行ったことがありましたが、わずかな経験だけで十分でした。話を聞くのはそれを自分でできるようにさせるため、というのが最も合理的であると思います。一度聞けばあとは自分でやればよいのだから。カウンセリングを受けるだけでは自己解決能力を養うには至りませんね。だから「自分一人で物事を考える」ためのセッションを私は行っています。

正しく無駄なく適切に物事をできるだけ自分の頭で考える努めを放棄した連中が、背後で赤の他人の人生を操っていますが、彼ら裏世界の連中の心理を私は観察してきましたし、現在もしています。操られている人々の裏にある世界を知っていますから、操られ閉じ込められている人が、一体何にがんじがらめにされているかを見ることが可能です。

そもそも正しい思考をするというのは、スピリチュアル、宗教、信仰などとは何の関係もありません。また、これらの世界に依存し「誰かを救いたい」「救われたい」と考えるのも一つの段階でしょう。

 

私はその後、仏陀の行っていた瞑想修行を教えるミャンマーの瞑想修行僧に出会う機会を得ました。仏教の世界では人が人生の中でそのような機会を得ることはまれであり、法縁を得ることは努力に拠らず、過去世の功徳の積み重ねによると説かれています。

仏陀の教えに巡り合う事は、地球上の数え切れない程ある砂粒の中から「たった一粒だけをつまみ上げる」確率と説かれています。ほかのどの砂粒でもなく、その一粒だけを地球上から探し出そうと思っても人は自力で探し出すことはできません。それほど稀有な事だと説明されています。

20代の若い頃には真理を探究する気持ちを強く持っていたので、そのような機会を自分で探し出したのです。誰もが「真理に興味を持つ」には至りません。私の場合は心理に興味を持ったことがその入り口、きっかけとなっていました。以降、スピリチュアル世界からは離れていき、現在ではスピリチュアルな考えや思想を持つことはとても考えられません。人は常に進んでいるからです。これもよく言われることですが、成長すると子供の頃に遊んだ玩具で遊べなくなるのと同じです。

大乗仏教では仏陀の至った涅槃、「悟り」に至ることはできませんから興味は持ちませんでした。仏陀は後にも先にもただ一人であり、多くの仏陀は初めに悟った「ゴータマ」王子ではないからです。

 

よって、私のセッションを受ける人を遠隔でも思念でも生霊でも邪魔する大乗系の自称修行者、スピリチュアリスト、花畑の魔法使い等には一切容赦致しません。

「悟りの階梯」花畑ワールドから脱落させることもできるでしょう。そんなものないからです。(念をおすが私は倒錯した悪魔主義者ではない。)

私はかつて偶像崇拝者である悪魔主義者により、魔術と技術で殺されそうになったことのある経験者です。

この世というのはそういうことがいつでも起き得ますし、スピリチュアルや宗教世界に関わればますます狙われやすくなるでしょう。

 

彼らの魔術でやられて倒れてしまった人は、自身にある問題に逐一付け込まれ、動けなくさせられています。

人はいつでも自分を見つめるしかありませんが、それも過ぎると自分で身体も起こせないところまでいきます。

私は嫌というほど観察してきたので、裏から積極的に介入する側である魔術使いを「敵」と見なし、悪いのは100パーセント付け込む側であると考えています。

しかし、解決するのは自分しかないと多くの人が言っているが全くその通りで他には方法はないのです。

緊急を要する事態に魔術を使うことがあったとしても決して何も解決はしない。

裏で悪事を行う者はストレスでその精神をやられてしまうので、裏から人を狙い心理操作し社会の外に引っ張り出して八つ当たりしているのが実情です。

仏陀じゃあるまいし、カルマの清算もできずに未熟者が一時的に偶像崇拝に走るものだから魔術を行い、「余り」ばかりが世の中に出て始末に困る。

彼らは仏陀の瞑想をバカにし、イエス・キリストをバカにし、金にしか興味がないが金を稼ぐ能力はなく、努力は放棄し、真理を理解もしておらず、それでも自分が幸せになりたいと考えている欲ばかりの連中であり、怖れることはないのです。

怖いのは自分の徳が足りない、負けているからでしょう。

仏陀は自分の幸せを捨てて人類を救世したいと発願した聖者です。「自分が幸せになりたい」人達とは全く逆の価値観です。人類とは地球規模で広く存在し、仏陀は涅槃に至って後もその人類を見ていると言われています。究極の観察者であるからでしょう。涅槃の世界だけでも、どれだけ壮大な世界であるか想像もつきません。ましてや聖書の神の世界などは、私には一生かかってもわからないでしょう。時のはじまりから神と一緒にいたとされる神のひとり子イエス・キリストの居た場所ついて説明できる人がいるのでしょうか。

仏陀の人類救世発願のその意味も理解している人はごく僅かでしょう。

書物には全てがそのままに語られてはいませんし、そこに多くは語られていないのだということも読めばわかるでしょう。(衆生救い難し。)

 

 

 ここには厳しいことを記録します。

裏から操作する者は「くだらない心理戦」を行い頑なに「真理」を拒むので彼らには全く真逆の毒薬を飲ませなければなりません。

もし、セッション申し込みを考える人に同じ心根があれば被害を蒙るでしょう。

ここを読めるなら、まだ考える余裕があるのですから自分一人で考えましょう。

思考する材料が不足なら真理の書かれた書物を紐解きましょう。

繰り返しますが私は誰も「救い」ません。

精神世界系のあれやこれやからは卒業しています。

自立するはっきりした決意と意思をお持ちの方、また持ちたい方がお申し込み下さい。

(※私は人に執着する犯罪行為の関与者には語りかけていません。お引取り下さい。)

 

 

私の次の展望は国内になく、すでに海外に向けての準備を始めています。

今日まで、国家レベルで、反日的な、あるいはその他の妨害を幾度も受けています。

世界レベルでの”霊的働き”を私は子供の頃から何度も妨害されてきた日本人の一人です。

いまや、現代社会の現実的犯罪テーマは「国際法違反」となっている事態です。

国際社会での「裁判」が待ち望まれる時代ですから、申し込まれる方はあまり怖れてばかりいず積極的に視野を広げて頂きたい。

「怖い」のであればそれはあなたが真理に基づかず他人や他の何かに依存しそれを妄信しており如何なる形であれ正しくないものからの「洗脳」が深いということです。

 

 魔術的、心理的恐怖を去らせるのは普通の大人でも難しいものです。普通の人はそもそも思考が混乱している自覚がまったくないという印象を私は受けています。

「あれ」や「これ」を平気でくっつけてリンクさせ考えたりします。

自分でものを考えられない大人が子供を育てきれない社会で、ひきこもり、あらゆる精神障害を若い世代が煩ってしまった。

この点についての事細かな具体的な説明は一切ないまま、「経済活動」や「労働能力の問題」と「真理の理解」を同じ遡上で語る、思考回路がめちゃくちゃな連中が、「真理なんかで食っていけるか!」と更に混乱した思考を広めています。

 

カルトでいう誰それは「ミ」だの「キ」だののレッテル貼りも、勉強不足、学力不足、読書不足の問題であり、単にその「差」にすぎないが、頭が神秘的な花畑世界在住の連中なので、「何か特別な生まれの人」「特別でも何でもない生まれの人」などと、教育の不在問題をすり替え、「何を行っていないか」を隠蔽している、というのが実態でしょう。

ちょっと本を読んで知識知恵ある人をつかまえては「真理の御霊」などとレッテルを貼る連中の思考回路と全く同様である、神秘思想家達です。

 

公に政治的な場所で活動している大人が「仏陀の輪廻転生など嘘」と言っていたのを聞いたことがありますが、「仏陀の瞑想修行を行えば誰もが過去世が見えるようになる」というのは、修行した人達皆が体験していることで、そこを通過することは正しく修行できているということでもあります。

嘘か本当かはやってみて初めてわかることだでしょうが、やるやらないは別にしても、自分で確認していないことを「嘘」というのは適切ではありません。

やりもせず確かめもしないで「嘘」というのであるから、その発言は科学的態度でさえなく「どうしても頭から仏陀の教えや輪廻転生について否定したい」という意図があるのだろうと、普通は考えます。

こういうのを、聖者侮辱、真理の侮辱、と言います。

(このような態度は聖霊世界を否定することにも繋がっていく。)

政治の世界であれ「反キリストの国」「聖書の広がらない国」として、聖書絶対の世界の人々は他国を観察しているのであるから、不用意な発言でもあるでしょう。

 「聖霊だの真理だの、俺の生活や収入と何の関係があるんだよ」などと、人に曖昧模糊とさせる思想を押し付ける思考の仕方をまとめて「神秘思想主義」と私は呼び、認識します。

真理と「収入や生活」が一体どのように関係しているのかを、具体的に細かく説明する義務が彼らにはあるでしょう。

 

人は頑なでその教えや真実は必要な分しか語られないものです。

聖書にもそのように記録されており、仏陀はそれをそのまま体現しています。

私にはこれについて一切の異論がありません。道理でしょう。

しかし”多くの反抗するもの”は「ないものを出せ」と探し続けているモラトリアム、嘘つきであり、延々と繰り返されるそのくだらない「嘘」の渦中に、あなたの苦しみがあるのかもしれません。

「赤の他人の嘘の限界」を投影されていることを理解できれば、少しは思考する余分ができるのではないでしょうか。騙されていますよ。

 

 

 

 

セッションを申し込まれる方はできる限り具体的に書いてください。(職業など、個人の判別がついてしまう情報は不要です。)主観・客観の区別がつくことはその旨記して下さい。

あて先⇒  https://profile.coconala.com/users/1036561

 

 

 

 

 

 

<a href="https://blog.with2.net/link/?1987508">人気ブログランキングへ</a>