霊的・心的問題の自己解決の為に

セルフリーディング、霊的・心的問題の自己解決の為の誘導を行います。

私が法縁を頂いた仏陀の正統な瞑想修行者である聖者について

(※セッションを申し込む方の為限定で記録しています。犯罪行為、いじめ、嫌がらせ、国際法違反の犯罪に関与する未熟者、悪魔主義者、修行者、スピリチュアリスト、偶像崇拝者、何らかの宗教の狂信者、は閲覧を固くお断りします。私は頭の混乱した倒錯者ではない。私のセッションを申し込む人を苦しめている原因はまさに彼らに存するからである。盗聴したり遠隔透視する輩にはその分の取り返しのつかない「カルマ」が発生するが覚悟せよ。冒涜者と不信仰者ばかりの世の中である。不届き者はこの先読むな、去れ。私にまつわる問題は国家レベルで起きるようになっている。嘘だと思うなら命をかけて犯罪行為を続ければよい。次の代償は「人命」である。)

 


私が法縁を頂いた仏陀の正統な瞑想修行者である聖者について

 


犯罪関与者とは「悟り」や「真理」や「聖者」や「聖霊」などはなから放棄している、
偶像崇拝者」である。

聖霊否定、あらゆる神聖の否定、真理の否定の末、科学先進国クローン社会を、日本という国は必ず目指すとここに警告しておく。

世界に聖書を広げたヨーロッパはこの先真の意味で栄えがくるが、日本は上辺だけを飾るようになるだろう。
まともな人なら誰も考えることであるが、このようなことを指摘し記録すると、言語不自由者は即座に「こいつは真理の御霊だ!」などを連発するのである。

水戸黄門の印籠」である。

あのドラマが大好きなのはすでに考える時期を終えた「衰えた老人」である。

(この一文も「敵意」を持って読まれるだろう。私は深い確信を覚えているので、もはや一切説明しない。自分の「感情」の面倒は自分で見よ。)

もはやまったく話しにならない障害者、ロボットの域である。

 

 

全体主義を超えているらしいこのような日本社会の主軸は当然、あらゆる「教え」を否定し「ゆとり教育」を支持した世界の無能である。
日本の、国際社会でも特殊といわれる「左翼活動家」は将来理想社会が来るなどと呟き、「瞑想修行」などをよりどころとし、政治的に保守系の側に迫害されていた、わが道を行っている存在である。
正統な瞑想修行者であれば「瞑想」は嗜みでなく、朝から晩まで瞑想だけを毎日死ぬまで行う「本業」である。
仏陀がそう教えているからである。


時々、日本国内において、林で瞑想している「跡」を私は見掛けたことがある。

信じないだろうが、私は日本国内で「瞑想修行者はお断りである」旨の声を誰も居ない、車道から離れた静かな林の奥で聞いた。

頭の中に聞こえる声や、テレパシーや、内心の声などでもないと表現しておこう。

「地の底から声がする」のは本当である。

正統な瞑想修行者ではない左翼活動家は、人でない存在からも嫌われているようだが、やり方も作法も知らず勝手にあちこちで瞑想している様子で、自然界からも「もう結構です」と言われている。そこに座れば断られるだけの精神状態を周辺に伝えるからだろう。


「左翼活動家」とは、正統な仏陀の瞑想修行者とは別世界の曲者、偽者、カルトである。
正統な瞑想修行者は、社会活動を行わず、社会がどうなるなどと預言したり、社会をどうにかしようと働きかけたりしない。
社会運動をしている袈裟を着た「僧」もアジアには存在しているが、明らかに仏陀の教えから外れている。
大学などでも「学生運動」をやる学生がいたのと同じである。

 

 

仏陀の瞑想修行者と法縁で繋がっている対象者(私)である私は、彼ら左翼活動家の一部を殺人者と認識している。
ある対象者の殺人計画実行中にありながら「殺人を計画をしながら悟りを得る修行を将来考える時点で 悟りの道は断たれる」がご存知か。

仏陀の教えの否定、侮辱である。
彼らの「仏道修行」は、あとはただ地に座るだけの「浮浪者」の道しかなくなり、実際、それさえ日本と言う国は既になくしてしまった。
聖霊無視、仏陀の真理も無視している。

瞑想修行者なら誰でも知っている。
「くだらない質問」は世界中でなされ答えも出ているが彼らは知らないだけなのでここに記録する。
私はくだらない質問が正統な瞑想修行者にされるのを聞いたが、聖者は苦笑気味に答えていた。人間とはこのレベルなのである。

聖霊による「裏書」のされない連中とは、善も悪も白も黒もない、「皆同じ」である。

 

そして、この文を読んだので犯罪行為への加担者はお仕舞いである。年齢は関係ない。

聖書の福音もインターネットを通じて世界中へ知れ渡っている。

「殺人、犯罪の後に悔い改めて洗礼を受けよう計画」も同様、荒唐無稽な話である。

 

 

殺人が救世であるという”大乗仏教徒”は、この現代社会に生きていて「悪い事をしている」ことがわからないはずはない。

瞑想修行の入り口として、外界で起きることに「レッテル」を貼り、「これは◎◎」「これは▲▲」と、認識することを教える「修行」があるが、現在彼らはそれを犯罪行為に適用し活用していることも記録しておく。

 

 

私が習った仏陀の悟りを得るための正統な修行には、そのようなやり方は一切ない。

 ミャンマーは仏教国であり軍事国家であるが、私はその国の瞑想修行僧との法縁を得た。聖者は子供の頃に出家し、国の偉い人から土地の寄進を受けミャンマーで瞑想を教えている。時々日本にも教えに来られるが、日本と縁の深い方で聖者のミャンマーの僧院には「富士山」の絵が飾られているのをインターネットで見ることが出来る。

瞑想できる機会のある内に、カルトや宗教の門を叩いて思想を肥やすなどの遠回りをせず、やるなら本当の修行者の元へ行くべきである。

例え一生瞑想修行を続けることができなくても、ご縁を頂き聖者から直接瞑想を習うだけで大きな功徳となる。

真理に耳を傾ける人はとても少ないので、瞑想を習いたい、志したいと伝えるだけで聖者はとても喜ばれる。聖者は慈悲の瞑想を行うとても静かな方です。

正統な瞑想修行とは、「伝統的な仏陀の瞑想修行」を教えておられる師につき、その師から習い、その師に認められることです。

どの段階まで瞑想が進んでいるかなどを師は確認します。

 

 

※霊的心理的問題を抱える方へ。

遠隔透視などで遊び、他人の心理を覗いているスピリチュアル系邪道では、「能力」があるかないかを競うがその心根は腐っている。

ただ「臓器(脳)」をもてあそんでいる無能である。だから「性器をモニュメント」にしたりするのである。

彼らは望みもしないのに勝手に他人に働きかけ、自らを師や主人や夫や保護者であると

本気で考えている変質者であるというのが実態である。気をつけたい。

そもそも「瞑想修行」とは悟りに至る為の「仏陀の瞑想修行」だけのことを言う。

 

 

 

 

 

 

 

セッションを行っています。申し込まれる方はできる限り具体的に書いてください。(職業など、個人の判別がついてしまう情報は不要です。)主観・客観の区別がつくことはその旨記して下さい。

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